ザンテン!~プラモと玩具と雑談の記録~

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【雑記】技術の発展と幸福度について考えてみた。

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 人間の技術は日々進歩している。
たった十年前はスマホタブレットも全然復旧していなかった事が信じられないぐらいには普及している。
しかしこの科学技術の発展は本当に幸せと言えるのだろうか。


古いSFやデストピア物ではたびたび
「人間は機械によって飼いならされ、生きることに必要なことは何もかも機械がやってくれる世界」
が展開されることがある。
正直な話、僕は現在の科学技術を総動員すればそんな世界がすでにできていてもおかしくはないと考える。


しかしなぜ、そんな世界が訪れないのか。
まずこの国が資本主義国家ということもあるが、人間が同族内で競争をし、より多くの利益を欲する生き物だからなのではないか。
たとえ1で事足りるものでも2を手に入れられるのであれば迷いなく2を選ぶ。それが人間だ。
実際その欲が人間の文明を大きく発展させた要因でもある。


だから何か人間がやるべき作業を機械ができるようになっても、ほかの事をやることを求められるわけだ。
そうすれば生産効率もあがるわけだから当たり前だ。
そして本来は人間が行っていた作業分の利益は丸々会社に入り、余分になった労力は機械ではできないより複雑な作業を求められる事になるわけだ。


交通技術の発展も同じだ。
1958年代では東京ー大阪間に行くためには約7時間かかったと言われている。
この場合もし東京から大阪に出張した場合、おおよそ三日間かけて出張することになる。移動時間も常識的に考えればもちろん移動している間も給料が発生しているハズである。
しかし現代では大阪までの時間は3時間かからない。つまり8時間業務の場合出張から帰ってくる日には残りの6時間は仕事をしなくてはならない。

電話交換係、目覚まし屋、ボーリングのピンをセットする仕事。
機械が発展したことによってなくなった仕事が多数存在するし、レコーダーが存在しない時代演奏家は今よりもっと多かっただろう。


もしかすると技術が発展した影響で昔より今の方が
人間の行う仕事はより難しく、より忙しく、やりたい仕事ができない時代になってしまったのではないかと自分は考える。


しかし一度発展した技術はそう簡単には後戻りできない。
こんなことを言ってる自分でもスマホやパソコンを手放せと言われても無理だと思う。
皆だってそうかもしれない。


いっそのこと一度文明が滅びればすがすがしいと思うが無理な話である。
だが今日においても新しい技術が発表される、本当にその技術が私たちを幸せにしてくれるのか?
それを今一度考えなければならない日が来ているのかもしれない。