ザンテン!~プラモと玩具と雑談の記録~

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【少々辛口】「バンブルビー」の視聴レビュー

皆さんはトランスフォーマーというアニメや映画作品をご存知だろうか?


トランスフォーマーはタカラ(現タカラトミーが製造販売を行っていたダイアクロンシリーズを海外で発売する際につけられた名称である。
 
そこから販売促進のためにTVアニメが放送される。後にそれらのシリーズを指す言葉としてトランスフォーマーは定着した。
 
ここで長々と話しているともそれだけで一記事ができてしまうのであとは各人ネット等で調べていただきたい。
 
さて今日ここで話したいのはトランスフォーマーの歴史ではなく映画「バンブルビー」である。
 

【前置き】

〜筆者のトランスフォーマー知識〜
 
・視聴したことある作品は「カーロボット」、「マイクロン伝説」
 
・実写版は第1作のみ視聴
 
 

映画「バンブルビー

 
バンブルビー』(原題: Bumblebee)は、アメリカ2018年12月21日に、日本2019年3月22日に公開されたアメリカSFアクション映画である。映画『トランスフォーマー』シリーズの登場人物であるバンブルビーを主人公に据えたスピンオフ作品。』
Wikipediaより引用、2019/04/07)

 

 
『1987年。18歳の少女チャーリー(ヘイリー・スタインフェルド)は居場所がなく、孤独な毎日を過ごしていた。ある日彼女は、海沿いにある小さな廃品置き場で1台の黄色いボロボロの車を見つける。彼女は、この車をバンブルビーと名付けて直そうとするが、それは普通の車ではなかった。』
(ヤフー映画より引用、2019/04/07)

 

 
いわゆるロボットと人間のふれあい物、ディズニー映画の「ベイマックス」や「アイアンジャイアント等を想像していただければ早いと考える。
 
筆者はこういった人間✕ロボットの作品を非常に好む傾向にあり数多くの作品を見てきた上で話を続ける。
 
以下ネタバレを含むため、未視聴の方はご注意を。
 
 
 

この作品の良かった点

 
トランスフォーマーたちのデザイン、CGが非常にシンプルになり見やすくなった点。
 
実写TFで個人的な不満点だったデザインが一新された。それ以前のデザインは確かに凄い技術であったが瓦礫が動いているようにしか見えな買ったのでこの改良は素直に喜べるものであった
 
バンブルビーの変形能力を活かしたアクション
 
味方、敵、アメリカ軍という非常にシンプルな構造であった点
 
ロボットと少女のふれあいをキレイに描ききった点
 
時代設定が1980年代なのでバック・トゥ・ザ・フューチャーの現代シーンのような少しクラシックな雰囲気を味わえる
 
 
 
 

この作品のダメな点

 
ストーリー面
本作のストーリーは
 
父親を失い、母親の再婚でできた家族とも馴染めず孤独を感じていた少女・チャーリー
故郷セイバートロン星を追われ、追手の攻撃により声と記憶を失ってしまったトランスフォーマーバンブルビー
 
が出会う事から始まる。
1クールのドラマだったら全然問題ない設定と言える。
しかしこの作品の上映時間はおおよそ2時間である。この2時間でこの要素と他に敵の追手やアメリカ軍の話をやるのは少々無茶とも言える。
 
現にギクシャクしていた家族関係はその後終盤のノリでなんとかなってしまったり、アメリカ軍のわからずやの親分も1回助けてもらっただけで心を許してしまった点がそれを物語ってるだろう。
 
そもそもバンブルビーとかかかる上で家族との重たい話はそれほど必要だったのだろうか?
例えばクレヨンしんちゃんの映画を思い出していただきたい。クレヨンしんちゃんの映画ではしんのすけが何かしら問題をもったゲストと知り合いとなり、そのゲストを助けるために活躍し結果として家庭的に大きな問題を抱えていない野原一家やカスカベ防衛隊がそれらに関わることになることが定番である。
そう、しんのすけには大きな問題を抱えていなくてもそれほどストーリ上問題がないのである。
 
なのでチャーリーには車好きで少し友達が少ない少女ぐらいにしてバンブルビーの話にもっと重点をおいてもよかったのではないかと筆者は考える。
 
 
 

欲しかった描写

要らなかった描写

 
ここからは完全に筆者の趣味趣向で話します。
 
バンブルビーがテープレコーダーを射出する描写が戦闘シーンで欲しかった。
ピンチの状態からテープレコーダーで一発逆転したらとても熱かった。
 
バンブルビーを銃で治療する(復活する)描写が意味不明
マイクロン伝説で一通りスパークやマトリックスなどの知識を知ってる自分ですがこの一点だけは本当に意味不明でした。
 
バンブルビーがラジオ番組を録音している描写が欲しかった。
そんなタイミングよく自分の欲しい単語が放送されているわけないですものね。
 
バンブルビーが目を真っ赤にして暴走する描写は本当に必要だったのか?
・「ベイマックス」「アイアインジャイアント」などの海外で感情を持つロボットが登場するとたいていの場合目を真っ赤にして怒って暴れてしまう描写がある。
なにか必ずやらないといけないルールでもあるのだろうか?
日本にも鉄腕アトムドラえもん勇者シリーズフルメタルパニック翠星のガルガンティアケータイ捜査官7など自分の意思を持って行動するロボットが登場する作品は数多く存在する。
なかにはレイズナーのフォロンなどの裏システムが働きく特殊な例もがるが、感情的に我を忘れ暴走するのは非常に少ないと思える。
そもそも感情をもつロボットだからこそ暴走はしちゃいけないのではないかと自分は考える。
 
最終決戦での決定的な描写不足
・物語は終盤、ディセプティコンの戦士たちは地球を攻めるべくセイバートロンから本軍を呼び寄せるため電波塔を占拠する。
そこでバンブルビーとチャーリーはその作戦を阻止するため戦いに向かうわけなのだが、電波塔につくやいなやバンブルビーはチャーリーをゴミ箱に入れてしまう。
「どうして」と聞くチャーリーに対し「君を失いたくない」と答えるバンブルビー
あのさ、それだったらチャーリーをわざわざ戦場に連れてくることの意味が分からない。
例えばバンブルビービークルモードの時に自力でコントロールきなくなってしまったという事情があるならわからなくもない。
 
実際「大鉄人17においては敵のマザーコンピューターの領域内だとワンセブンは行動を制限されるため主人公の三郎が敵の元までワンセブンを操縦して連れていくという描写がある。
こうした事情があるならまだしもバンブルビーがやってる行為は単にチャーリーを危険にさらしてしまっている行為である。
敵は人間を一瞬で液体にしてしまう強力な武器を持っている。
そんな流れ弾がいつ飛んでくるかわからない状況に愛する人を置いておけますか?という話ですね。
 
またその後チャーリーが独断で通信機のバッテリーを取り外そうとするシーンがある。
この行為については人間とロボットの相棒物語においてはなんら問題はない。
しかしロボット側の「どうして来たんだ」という気持ちと人間側の「私も一緒に戦いたい」という気持ちのぶつかり合いがないのは駄目である。
 
 
この描写がなされることによって、鋼鉄のボディを持つロボットとひ弱な人間の両者が単に守る、守られる存在ではなくお互いに背中を任せられる存在であるのが表現できるのである。
 
 

【総評】

散々に書きなぐってしまったが自分としてはこの映画は良い仕上がりだったと思える。
ただ傑作や良作かと言われるとそこは少し首を傾げざるを得ない、
 
もっとも実写版トランスフォーマーオートボットサイバトロン)、ディセプティコンデストロン)、アメリカ軍の思惑が交錯し難解というイメージがついてしまった上、シリーズを一策でも見落とした人はお断りという空気になってしまっていたのでこのバンブルビーでCGデザイン共に心機一転というのは非常に好印象を持てた。
 
この作品の続編が出るかどうかは正直わからないところではあるがオプティマスとバンブルビーがたった二人でこれからどうやって戦っていくのか心配でもある。
 
 
というこで
以上、映画「バンブルビー」についてのレビューでした。